時代を映してきた都市対抗野球

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第4回 社会人野球最盛期の後楽園球場2012年07月03日

 かつて社会人野球は、夏の都市対抗野球とは別に秋に、日本産業別対抗野球大会(別名産別大会)が開催されていた。まさに、企業の業種別の代表チームが集まり、都市対抗同様に 後楽園球場で開催されていた。発想の原点は、全国の鉄道管理局が争った鉄道野球大会で、これを模範して、炭鉱野球大会や鉄鋼大会など、業種別の大会が開催されていた。やがて、それらの集大成という形で、業種別の対抗戦を開催しようという機運になり、1951(昭和26)年に第1回大会が開催された。

 大会は73年まで続いたが、日本の高度成長がほぼ終わりに達し、安定期を迎えるにあたって、産業別の意味合いも薄くなってきた。また、産別大会も補強制度を導入していたこともあり、補強なしの単独チームの戦いを望む声も上がり始め、産別大会が発展的解消という形になって、翌74年から関西で現在の日本選手権大会が開催されるようになった。

 まさに、最盛期を迎えつつあった70年代の社会人野球は、夏の都市対抗と秋の選手権という形になり、レベルもさらに向上していくようになった。この時代に力を発揮したのは、日本鋼管、神戸製鋼、住友金属といった鉄鋼金属系企業と電気と重工業、自動車メーカーに製紙系といった、大企業チームだった。まさに、企業が会社の盤石な基盤を主張する意味からも、企業スポーツの存在は欠かせないものとなっていた。

 70~80年代は企業スポーツ全盛期ともいえる時代でもあった。東京オリンピックを機に始まったサッカーの日本リーグ(現Jリーグの前身)をはじめ、バレーボール、バスケットボール、ハンドボールなどでそれぞれ日本リーグが開催されていた。
 ことに、バレーボールは、オリンピックでメダルを獲得したということもあって男女とも各会場は溢れんばかりの人だった。スター選手をアピールしていくという協会の戦略も当たった。参加企業も日本鋼管、新日鉄、松下電器、住友金属といった野球と同じ企業が重なっていた。女子では日立とヤシカにカネボウ、ユニチカ、東洋紡といった繊維系企業が多いのも特徴だった。バスケットボールもほぼそれに重なったが、いずれにしても企業にとっては、独自のスポーツチームを持っているということは安定の証でもあった。

 


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