時代を映してきた都市対抗野球

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第5回 社会人野球の使命、都市対抗野球の役割2012年07月09日

 都市対抗野球が実質、企業対抗という色合いが強くなってきた70年代から80年代の社会人野球。野球に限らず、企業が会社として国内のトップレベルのスポーツチームを保有するということは、一種の大企業としてのステイタスを示すかのようなものでもあった。それが、あらゆるスポーツ競技に関わっていけばいくほど、その企業は評価されるような傾向もあった。“メセナ”という言葉が社会に飛び交ったのもこの時代である。
 ちなみにメセナとは、「企業が文化芸術活動に対して援助後援し、資金支援を行うこと」という意味。ローマ文化時代に詩人たちを保護した政治家のマエケナスからきた言葉とされている。いずれにしても、そんな意識が盛んになっていた時代である。企業が、自分たちの企業としての専門的な生産や販売だけではない部分で、その活動を示して社会的な評価を得ていくことを求めていたのだ。そのことで、認められることこそ企業としては存在意義があるとさえいわれた時代だった。

 時、まさにバブルの時代でもあったのだ。

 80年代の社会人野球、その象徴的な存在として登場してくるのがプリンスホテルだった。かつての産業別大会は日本選手権に発展的解消をしたことでなくなってしまったが、もし産別大会が継続されていたとしたら、プリンスホテルはどの業種の部門として参加することになったのだろうかと思う。少なくとも、当初の22業種の区分けの中ではなかった業種でもある。

 プリンスホテルは西武系の企業で観光開発事業としては最先端といってもいいものであった。その一方で国土計画を核とした西武グループの土地開発(デベロップメント)部分として西武鉄道を核とした企業グループがあった。そのサービス部門として、直接客と接するホテル業としてプリンスホテルグループがあったのだ。
 プリンスホテルはその名の通り、ホテル業界の王子のようにセンスの良さで一気に業界でのし上がっていった。ユニホームもハイセンスな雰囲気で、従来の社会人チームのそれとは一味違った味わいでもあった。そして、専大の中尾孝義や駒大の石毛宏典といった大学の有望選手をごっそりと獲得したことでも話題となった。
 一部には系列企業のプロ球団、西武ライオンズが有望選手の確保のためのダミーとして、プリンスホテルでキープしているのではないかという声もあった。事実、石毛も柳川から入社していた中嶋輝士や秋田商の大型投手とした注目された高山郁夫などは、その後に西武入りしている。もちろん、これには裏では当時、球界の寝業師とまで言われた西武の根本陸男編成部長(その後福岡ダイエーで監督、GM)が絡んでいたことも確かである。
 そのプリンスホテルは83年からは連続出場を果たすようになって東京都代表の顔となっていくのだが、丁度昭和から平成に切り替わった1989年の第60回に初優勝を飾る。この年のプリンスホテルは本当に強く、シーズン初めを告げる3月のスポニチ大会でも初制覇している。また、系列の西武流通グループの象徴として西武百貨店を持っていた。

 


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