杉浦正則物語 第10回 シドニーオリンピックを最後に現役を引退、コーチを経て監督を4年間務める
2014.01.18

▲日本生命保険相互会社 杉浦正則さん
■連載コラム Human NEW!!
杉浦正則物語 第10回
シドニーオリンピックを最後に現役を引退、コーチを経て監督を4年間務める
三度目のオリンピック出場となったシドニー大会では、日本チーム全体の主将にも抜擢された杉浦正則。しかし、残念ながらメダルには届かなかった。こだわり続けたオリンピックでの金メダルは、ついぞ獲得することは出来なかった。
「シドニーオリンピックが終わった後に、次の目標ということになると、もう(自分にとっては)オリンピックはないというのが正直なところでしたね。年齢的に32歳というのは、まだ若いと言われるかもしれませんけれども、自分の中では身体がしんどくなってきたという実感がありました。それに、若手が伸びてきていたこともあり、なまじ日本代表という実績があることでチームに変な気を遣わせてはいけないということも考えていました」(続きを読む)
連載コラムHuman 杉浦正則物語
第8回 社会人野球の魅力は、トーナメントでお互いに明日なき戦いをしていくところ
第7回 オリンピックという舞台はメダルの重さ一つとっても違う、特別な存在
第6回 日本生命入りし「オリンピックに出てメダルを取りたい」という意識がさらに強くなった
第5回 オリンピック”という言葉に強く反応して、プロよりも日の丸を背負うことを選択
第4回 「大学四年では明治神宮大会で優勝投手となる」
第3回 「甲子園組には負けたくないという思いが支えになった同志社大時代」
第2回 「意外! アンダースローから始まった、橋本高の杉浦正則投手」
第1回 「どこにでもいる、勉強もちょっと頑張る普通の野球少年だった杉浦正則」
連載コラムHuman 『挑戦』 梶原康司選手(パナソニック)
第10回 黒獅子旗への挑戦
第9回 パナソニックで野球をやることができて、本当によかった
第8回 社会人で気付いた「バッティングの根拠」
第7回 戦力外通告を受けた日
第6回 一軍昇格への壁
第5回 阪神タイガースの下積み時代
第4回 果報は寝て待て
第3回 プロの世界を意識した日
第2回 涙にくれたシーズン
第1回 ターニングポイント
連載コラムHuman 筑川利希也選手(Honda)
最終章 巡る、熱い思い
第8回 思い焦がれた夢
第7回 優勝の兆し
第6回 ドラフト戦線の行方
第5回 自ら拓いた新たな道
第4回 自分を追い込むと決めた2年間のリミット
第3回 誰かのためのピッチングをしたい
第2回 野球人としてのどん底
第1回「ヒーローは、再び」
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