第8回 スタジアムDJの世界で果たした「NPB入り」 vol.12015年04月17日

【目次】
[1]つながりを創り、状況を把握して「スポーツDJ」の道へ
[2]四国アイランドリーグplusで磨かれた「観察眼」と「手元スキル」
[3]四国から大きく羽ばたく「つばさっち」
「何もない」から地位を築く「試考法・試行法」
「イ!デ!ホ!」
福岡ヤフオクドームのLED照明に響き渡る大音量。昨年から福岡ソフトバンクホークスのスタジアムDJを務める「DJツバサ」氏のバリトンボイス。
実は彼こと「藤澤 翼」氏も独立リーグからステップアップした人物である。選手たちと同様に学生時代から様々な経歴を積み上げ、一歩ずつ階段を昇ってきた藤澤氏の人生哲学とは?そして今現在もNPB開催など多忙な業務の合間を縫って、香川オリーブガイナーズのスタジアムDJを務める四国アイランドリーグplusへの想いとは?
これから野球界含め、社会で働こうと志す若者たちにも大いに参考となる藤澤流「試考法・試行法」を探る。
つながりを創り、状況を把握して「スポーツDJ」の道へ
「僕、アナウンススクールとかに行ったことは一切ないんです」

香川オリーブガイナーズのホームゲームでスタジアムDJを務める藤澤 翼氏
「あの」美声から発せられた言葉はあまりに意外なものだった。愛媛大3回生だった2001年・当時JFL(日本フットボールリーグ)に所属していた愛媛FC(現:J2)でスポーツDJデビューを果たした藤澤 翼氏。加えて大学ではアナウンス界の王道「放送研究会」に所属することもなかった。
では、氏はどうやってこの座を射止めたのか?その裏には的確な「つながりの創り方」と「状況把握」が存在していた。
「DJの方法はFM愛媛で番組をやられている玉井 智さんに手ほどきして頂いてたんです。当時の玉井さんは同じJFLの大塚FCヴォルティス徳島(現:J2徳島ヴォルティス)でスタジアムDJの経験をされていたんです。そこで僕は『スタジアムDJをしたいんですが?』と相談して、手ほどきを頂いたんですよ。
次に2001年ホーム開幕戦を見て『何ができそうか』を考えて、愛媛FCの事務所へ企画を持っていったんです。それからスタジアムでお手伝いしながら組み立てを考えて、前期の終わりから試行。後期から本格的にスタジアムDJになりました」
では、組み立ての上で考えたことは何か?
「(メインスタンドしかない)愛媛県立球技場のアレンジ的には、ポイントでしゃべる方がいいと考えて。その中でサポーターと一緒になって雰囲気を出すことを考えました。当時、自分の感覚としては最初にしてはうまくいったことは覚えています」
こういった「つながりを広げる」積み重ねの上で2005年・四国アイランドリーグ(当時名称)が開幕。当然のことながら藤澤氏も大きくリーグにかかわることになっていく。
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