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第51回 新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ 野呂 大樹外野手【後編】「ハンディを『プラス』に変えて」2015年07月07日

【目次】
[1]大学時代に手がかかった「プロ野球」。そして新潟へ
[2]新潟アルビレックスBCで成長した「野球観」と「盗塁術」 / リーグ5年目での「使命感」と「熱い想い」
[3]脚の精度を高め、「即戦力」でNPBへ
ルートインBCリーグ・「FUTURE-East」地区前期を独走で制した新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ(以下、新潟アルビレックスBC)。そんなチームのリードオフマンとして2位・18盗塁の森 亮太(福井ミラクルエレファンツ)(2015年インタビュー【vol.1】【vol.2】)・石突 廣彦(石川ミリオンスターズ)を大きく引き離す36試合29盗塁(7月1日現在)を決めたのが、新潟アルビレックスBC入団5年目の野呂 大樹外野手(26歳)である。
中堅手としても広い守備範囲を誇る野呂選手。「先天性難聴」という野球選手としては大きなハンディキャップを抱えてプレーしているにもかかわらず、彼はリーグトップクラスの実力を堅持している。
障がいを一切感じさせないハツラツとしたプレー。「とにかく野球が楽しくてしょうがない」という様子が全身から見える彼がどのように野球と出会い、野球に魅せられ、そして今後どうなっていきたいのか。
後編では大学時代とルートインBCリーグを経ての思考の変化や、メンタル面等で支えてくれる人などの深層に迫った。
大学時代に手がかかった「プロ野球」。そして新潟へ
堀越高卒業時、他大学からもスポーツ推薦があった野呂。だが、彼が選んだのは関甲新学生野球リーグで力を伸ばしていた平成国際大学であった。

新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ・野呂 大樹選手
野呂 大樹選手(以下、野呂) 平成国際大学は「特待生」でのオファーでした。特待生で獲るということは、ちゃんと自分のプレーを見て、評価してくれたということ。正直、どんな大学かは分からなかったんですが(笑)、ちょうどその頃「大学野球」という雑誌に載っていた大学野球部の記事を見て、いい環境なんじゃないかと思って決めました。
平成国際大学の監督(大島 義晴監督)と、堀越高校の監督(山口 泰男監督)が関東学園大で先輩後輩だった縁もあって、僕がどういう選手なのか、大学の監督がちゃんと分かって入部させてくれたのも心強かったです。
ただ、大学では寮生活。チームメイトも一緒に行くわけではないのが不安でした。それと耳が聞こえないからという理由で、最初から距離をおいてくる人も多い。だから、最初に「自分は耳が聞こえないけど、はっきりしゃべってくれれば分かるのでよろしくお願いします」と話したんです。そうしたら、先輩も、同級生も話しかけてくれました。
こうして周囲とたちまち打ち解けた野呂は平成国際大でも持ち前の野球センスを遺憾なく発揮し、大学3年時には春秋2季連続の盗塁王を獲得。その活躍にNPBスカウトたちも目を光らせる存在になる。それは同時に野呂にとって漠然としていた「プロ野球」という目標が、より鮮明に見えた瞬間だった。
野呂 それまでは「プロ野球」は目指していたんですけど、ただただ野球が楽しい少年野球からずっと続けてきて、知れば知るほど奥の深さを実感していた状態。でも、大学3年の時に「プロのスカウトから見られている」と、監督に言われて。意識してスピードだけでなく、パワーも付けようと、身体を作りました。
しかし、4年秋に待っていたのは「NPBドラフト指名漏れ」という厳しい現実。気持ちを切り替えて社会人野球への道に進もうとしていた彼に、もう1つの選択肢が現れた。それがBCリーグ(当時名称)「新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ」(以下、新潟アルビレックスBC)である。
野呂 監督から「新潟アルビレックスBCからオファーがあるぞ」って言われた当時は、全然知らなかったんです、BCリーグを(笑)。平成国際大学の先輩・今井 佑紀さんがいたことすら知らなかった。
でも、調べてみたらNPBみたいに野球でお金をもらっているリーグだと分かり、その中にも元NPBの選手もいる。それを知ったときに、元NPBのプレーヤーと交流を持って、プレーや考え方を学べたら、自分にもプラスになるんじゃないかって思ったんです。父も「勉強してこい」と送り出してくれたので、縁もゆかりもなかった新潟にお世話になろうと思いました。【次のページ】 新潟アルビレックスBCで成長した「野球観」と「盗塁術」 / リーグ5年目での「使命感」と「熱い想い」