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第12回 横浜DeNAベイスターズ 内村賢介 選手2013年02月17日

山梨学院高からJFE西日本、その後、2007年に始まった北信越BCリーグの石川ミリオンスターズで、1年間プレー。同年のドラフトで、東北楽天ゴールデンイーグルスから、育成1位指名を受け、BCリーグ初のNPB選手となった。
そして、NPB入り後の2012年、横浜DeNAベイスターズにトレード移籍。持ち前の俊足を武器に、活躍を残す内村賢介選手に今回はお話しを伺いしました。
【目次】
[1]石川ミリオンスターズ時代に打撃のコツ掴む
[2]足を生かした出塁率の高いプレーヤーを目指して
石川ミリオンスターズ時代に打撃のコツ掴む
――社会人野球を終えたあと、中学時代の恩師の提案で、2007年にスタートしたばかりのBCリーグ・石川ミリオンスターズに入団したと伺いました。当時は、どんな思いで最初のシーズンを迎えたのでしょうか?
内村賢介選手(以下「内村」) 2~3ヶ月ほど野球から離れていたので、NPBを目標にしていたというよりも、とにかく野球が早くしたかったという思いが一番強かったですね。ただ、時間が経つにつれて、もう1回NPBを目指そうという思いは強くなっていきました。

横浜DeNAベイスターズ 内村賢介 選手
――これからBCリーグの歴史を作っていく初年度だったという中で、内村選手はどのようなプレーをみせたいと考えていましたか?
内村 NPBを目指している人が集まっている集団なので、最初のうちは、『チームのことより、自分が結果を出すために頑張ろう』という気持ちがお互いに強かったと思います。ただ、試合をしていくうちに、チーム一丸となってプレーしないと勝てないとみんなが気付きました。それに、チームが勝たないとやっぱり野球はつまらないので。
――結果として初年度、石川ミリオンスターズは優勝を果たしましたね。当時の監督・金森栄治さんからは、どのようなことを教わったのですか?
内村 とにかく打撃ですね。打撃を徹底的に金森さんから教わりました。
まず、シーズン開幕前に自分の目標を聞かれ、金森さんに『NPBに行きたいです』と伝えました。そしたら、当時、僕はスイッチで打っていたんですが、『じゃあ、右打ちに専念しろ』と言われたんですよね。確かに、これまで自分のやり方でNPBに行けなかったので、元NPB選手の方がそう言うのだから、まずやってみようと思いました。
――右打ちを習得するために、どんな練習をされたのでしょうか?
内村 投手がゆっくり投げたボールを打ち返したり、ティーバッティングでひたすら打ち込んだり。練習内容は、社会人野球時代とあまり変わりないですけど、指導内容はかなり濃かったですね。フォームは、考えながらやっていたんですけど、なかなか金森さんに言われたいことが理解できなくて。最初は全くダメで、それでもシーズン途中になると、感覚が掴めて、打てるようになってきました。とにかく、教わったことを実践し続けただけですね。
――具体的な指導のポイントというのは?
内村 『腰で打て』としか言われなかったですね。それだけですね。それだけでも、難しいんですよね。ただ、当時の金森さんの教えは、NPBに入ってから、やっと理解できたのかなとも思います。
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