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第24回 又吉克樹投手(香川オリーブガイナーズ) 【前編】2013年12月03日

独立リーグ出身者として最高の評価「中日ドラゴンズ2位指名」でNPBの世界へと飛び込んでいく四国アイランドリーグplus・香川オリーブガイナーズ所属の又吉 克樹投手。「高性能の右サイドハンド」として一年間活躍を続けたことが高評価に結び付いたことは間違いない。24試合登板で13勝4敗。131回3分の1を投げ、101奪三振・防御率1.64はその証明でもある。
又吉 克樹自身も、その精度を常に追求してきた…いや、「してきた」は適当でない。彼はいまもなおサイドスローのスペシャリストを追求し続けている。では、急成長のポイントはどこにあったのか?今回は一般的な質問事項をあえて避け、今現在サイドスローに挑戦している投手へも参考になる「サイドスローバイブル」的インタビューを敢行した。
【目次】
[1]「過剰に意識しない」意識を植え付けてくれた香川での1年間
[2]「サイドスローのスペシャリスト」へ改善を続ける
「3」独立リーグで変わった「野球観」
「過剰に意識しない」意識を植え付けてくれた香川での1年間

香川オリーブガイナーズ 又吉克樹投手
――中日ドラゴンズ2位指名を受け、様々な人からなインタビューを受け話をする機会があったと思います。改めて今、思うことはありますか?
又吉 克樹選手(以下「又吉」) 正直まだ、実感は湧いていないんです(インタビューは仮契約前の11月19日)。自分にとってできていることは決まっているし、その中で求められていることを最大限発揮するだけ。それを過剰に意識して「いい方向に行くか」と言われれば、それはないと思います。今まで通り、試合で「自分の世界」に入ってやれればいいと思います。
――「気負いがない」という言い方の方が当たっていますかね?
又吉 そうですね。責任を背負いすぎると潰れてしまうことは、環太平洋大時代に経験していることですから。その意味では、自分のやれることをやることが責任を果たすことになると考えています。「ドラフト2位」という順位は即戦力評価だとは感じていますが、そこは過剰に意識せずやっていきたいです。
――逆に言えば、「過剰に意識しない」意識を植え付けてくれたのが、香川オリーブガイナーズでの1年間だったのではないですか?
又吉 それは間違いないです。(西田真二)監督さんからも「お前はお前の仕事をすればいい」と言われましたし、それが結果的に自分の成績にもつながりました。そういったメンタリティーの部分で、学んだ一年になったと思います。
――約1年前、環太平洋大4年のときにもインタビューをさせて頂きましたが、思い返せばあの時は相当「気負って」いましたもんね。
又吉 そうでした。意気込みが空回りしていました。「やっていること」と「やりたいこと」が噛み合っていなかったです。「やりたいこと」ばかりが先行して、周りからはいつもイライラしているように見える。今振り返るとあの当時は自分のことしか見えず、周りの選手に迷惑をかけてしまったと思います。
今年1年、違った環境で野球をやらせてもらった中で1年前と今とを比べてみると、気負いがプレッシャーを与え、悪い方向に行ってしまっていたと感じます。

――香川オリーブガイナーズ入団当時は、どんな精神状態で臨んだのですか?
又吉 正直、責任感から解放された気分。投げることで必ず勝利が求められた大学時代の状態が0になったので、「絶対活躍してやる、やらなくてはいけない」でなく、「挑戦しよう」というメンタルが大きかったです。どれだけ吸収できるか。どれだけいいピッチャーになれるか。自分の幅をどれだけ広げられるか。そんな気持ちで気負い無く投げられたので、毎回いい発見も見つかりました。
リーグ戦最初の登板(4月7日JAバンク徳島スタジアムでの徳島インディゴソックス戦・先発6回4安打2奪三振無失点で初登板初勝利)には親も見に来てくれたんですが、試合後「大学時代と違って楽しく、生き生きと投げられているね」と言われたんです。その時はピンと来なかったんですが、今振り返ってみると純粋に野球に対して、「やりたいこと」と「やっていること」自分の気持ちが噛み合っていたんだと思います。
大学時代は自分のレベルもわからず「やりたいこと」の幅も大きすぎて、それができないまま自分で潰れていくパターンでしたが、今年一年は「やりたいこと」ができて、次の「やりたいこと」に移れるサイクルが速かった。メンタルの安定がこの結果につながったと思います。
――昔、広岡達朗さんが書かれた「意識革命のすすめ」(1983年・講談社刊)の中で中村天風氏がインドのカリアッパ氏からヨガを習う中で、こんな話があったそうです。
一向に大事なことを教えないカリアッパ氏に中村氏が幸を煮やして「なぜ、教えてくれないんですか?」と聞いた時、カリアッパ氏は湯のいっぱい入った容器の上に水を注がせて「お前の今の状態はこれだ。まず、器の中をカラにしてから来い」と諭した。今の話を聞いてそれを思い出しました。
又吉 本当に器へお湯がいっぱい入った状態でした。自分のキャパシティを超えていたと思います。言われてわかってはいるけど、容量を超えているから体は全然動かない。そんな状態が続いていました。今年はインステップの修正など、早いサイクルで様々なことをすることができた。「カラになれた」こともそこにはあったかもしれません。
後半戦に関して言えば、その器がちょっと溢れてきていたのかもしれません。ただ、大学時代と違うのは、溢れてもみんながもう一度入れてくれた。僕をなんとか支えてくれた。野球の純粋さである「助ける」「助けられる」が香川にはありました。
キャッチャーは僕が悪い時でもいいボールを引き出そうとしてくれていましたし、内野手も声をかけてくれた。試合の中で孤立することはなかったんです。野球の原点に後半は戻れました。
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- 又吉克樹(またよし・かつき)
- 1990年11月4日・23歳
- 沖縄県浦添市生まれ
- 180センチ74キロ
- 右投左打
- 血液型A型
- 浦添小学校1年の時、仲間ジャイアンツ(軟式)で野球をはじめ、浦添中、西原高3年春までは内野手。3年夏には投手陣に故障が相次ぎ、バッティングピッチャーだった又吉が繰り上がる形で背番号「10」を背負い2試合中継ぎ登板。ちなみに当時の最速は117キロ。エース・主将は浦添中学時代からの同級生・島井寛仁(興南高から2年春に編入。ビック開発ベースボールクラブ→熊本ゴールデンラークス→東北楽天<2012年ドラフト5位>)だった。
- 上原健監督(現:読谷監督)ほか周囲の反対を押し切り進んだ環太平洋大ではサイドスローに磨きをかけ、1年秋には早くも最速138キロ、4年秋には最速144キロへ。2年秋には明治神宮大会3連盟代表決定戦で近大工学部左腕・中本勇作(現:伯和ビクトリーズ)に投げ勝ち、環太平洋大を初の全国大会出場に導いた。その一方で4年秋には中国地区大学リーグ1部最下位・2部降格という苦い経験もしている。
- そして今年はドラフト3位で香川オリーブガイナーズに入団すると、前期だけで12試合登板・7勝1敗・投球回80回3分の2で68奪三振・防御率1.34で月間グラゼニ賞(5月)・前期MVPを獲得。最終的には9月月間MVP・最多勝利投手・年間ベストナイン(投手部門)・年間グラゼニ賞も受賞し、中日ドラゴンズ2位指名を受けた。陸上・バスケットをしていた父親の遺伝子を受け継いだ50メートル走6秒2・遠投115メートルの高い身体能力も魅力の最速147キロ・右サイドハンド。
- 上記データは掲載時のものとなります。