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第2回 イーストアストライア 川端友紀選手(後編)2013年07月16日

【目次】
[1]ソフトボールから女子プロ野球の世界へ
[2]初めての国際大会出場から学んだこと
[3]走攻守三拍子揃った選手になるための課題
ソフトボールから女子プロ野球の世界へ
――元々、川端選手の中で、女子の野球はどんなイメージでしたか?
川端友紀選手(以下「川端」) その時は全く知らないことばかりでした。女子野球部がある高校、大学、クラブチームがあることも知らなくて、トライアウトではどんな選手がいるんだろうと思いましたね。
トライアウトには野球をやっている女の子がたくさんいるのかなと思ったんです。でも、実際に受けに行ってみると、ソフトボールから野球に転向しようとする選手であったり、他競技の選手もいました。野球やりたい女の人にたくさんいることに驚きました。それが嬉しくて、私もここで頑張りたいと思いました。そんな思いで受けられたので、合格するか分からなかったですが、トライアウトはとても楽しめてできたかなと思います。
合格が決まった時は飛び上がる思いで嬉しかったですし、父も母も大変喜んでくれました。兄も受かると思っていたよ、と言ってくれましたね。

――そこで、日本初の兄妹プロ野球選手が誕生したのですね。
川端 私からすれば兄妹でプロ野球選手であることは知られたくありませんでした。知られたら、そういう目で見られるじゃないですか。兄の名前ではなく、私の実力で試したいという思いで、トライアウトを受けていたんです。
受かってからリーグ代表の方に「川端の妹だったのか!」と結局知られるようになりましたけど。(※川端友紀選手のお兄さんは、東京ヤクルトスワローズの川端慎吾選手)
――小さい時には想像していてなかった世界だと思いますが、実際に女子プロ野球に足を踏み入れてどう感じましたか?
川端 なかなか信じられなかったです。女子プロ野球があるだけで嬉しかったので、本当に凄いなと思って。こうして仕事として野球が出来るのは幸せです。
――個人成績を見ると去年の数字を見ると盗塁数も二桁に増えました。何か変化があったのでしょうか?
川端 走塁や守備に慣れた、というのが大きいと思います。ソフトボールとの塁間の距離も違いますし、スタートをきる勇気がもてなくて、慣れるに2年かかりましたね。
ショートにしても、そうです。遊撃手は初めてやったポジションなので、兄の見よう見まねで、取り組んでいたのですか、なかなか慣れないですし、ショートにいるだけずっとドキドキしていました。

――この2年間は走塁、守備のスキルアップを目指したのですね。
川端 打撃そっちのけで守備重視に取り組んでいましたね。
――それでも、現在も打撃は好調で5割近く残していますが、野球の打撃とソフトボールの打撃は全く違うのでしょうか?
川端 全然違いますね。タイミングの取り方は野球とソフトボールは全然違いますし、ソフトボールは一瞬のスポーツなので、反応で打つ感じなんです。野球は『間』があってボールを見る時間がありますが、そこにアジャストするのが大変でした。1年目は、変化球は全然打てなかったです。カーブに関しては、なんだこのボール?というぐらい打てなかったので、1年目の最初に徹底的に打ち込みをしました。打撃については父から学びました。
――打撃のスキルアップの時に何を参考にされたのですか?
川端 父に指導してもらって、ソフトボールの打ち方ではダメで、野球はちゃんと振り切らないと飛ばないと感じました。結構当てるのは得意なんですけど、ちゃんと振るのが今まで出来なかったので、打球を前に飛ばすことに苦労しましたね。
――取り組みことがどれも初めてで、上達までの苦労も多かったとは思いますが?
川端 何をしても、どれをとっても新鮮な気持ちで取り組みましたので、楽しかったです。野球はやっぱり久しぶりというのもあって、一つ一つ自分が成長していっていると実感できたので、毎日楽しかったです!
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- 川端友紀 (かわばた・ゆき)
- イースト・アストライア
- ポジション:内野手
- 生年月日:1989年5月12日
- 出身地:大阪府貝塚市
- 経歴:市立和歌山高(ソフトボール) - 塩野義製薬(ソフトボール) - 京都アストドリームス(2010 - 2012) - イースト・アストライア(2013〜)
- 身長:170cm
- タイプ:右投左打
- 首位打者(2010、2011)
最高出塁率(2011)
ベストナイン遊撃手(2011) - 上記データは掲載時のものとなります。