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第4回 ウエスト フローラ 小西美加選手2013年08月15日

2010年の女子プロリーグ発足以来、3年連続最多勝を獲得。さらに昨年は日本代表・マドンナジャパンの一員として日本のワールドカップ3連覇にも貢献。押しも押されもしない女子野球界の大エース、それがウエスト フローラの小西美加選手。 今年も4年連続最多勝を狙える好位置につけており、またキャプテンとして好調フローラを見事にけん引しています。そんな小西選手に、野球を始めたきっかけや、今季にかける思い、そしてこれからの野球人生についてお伺いしました。
【目次】
[1]野球をやりたい!
[2]勝利を呼ぶためのプラス発言
[3]プロとしての意識を高く
野球をやりたい!
――野球を始めたきっかけは、「雪合戦」だそうですね?
小西美加選手(以下「小西」) 小学校2年の冬に近所の公園で、お兄ちゃんが入っていた少年野球チームの餅つき大会があったんです。その日はたまたま雪が降っていて、みんなで雪合戦をしていたんです。私は幼なじみのタロウ君と一緒に、バケツで雪を運ぶ担当でした。そうしたら、私に雪の玉が当たって、「くそっ」って思って投げ返したんです。完全な負けず魂ですね。そうしたら、それが意外にもよく当たるんです(笑)。

ウエスト フローラ 小西美加選手
――小2当時から、すでにコントロールがよかったんですね。
小西 年上の男の子たち相手に、けっこうヒットするので、それを見ていた少年野球の監督さんがビックリされて、「あの子、投げ方がええな」って、隣で見ていた私の父に言ったそうです。その日、家に帰ったら父から「監督さんがメッチャ褒めてたぞ」って聞かされて、それがすごく嬉しかったんです。そしてすぐにそのチーム(仁和ホワイトホース)に入りました。その後、小4でキャプテンになって、その頃にはもうピッチャーもやっていましたね。
――その後、中学時代は陸上部、北嵯峨高校時代にはソフトボール部に進みます。この間、野球とは完全に無縁の生活でしたか?
小西 小6の冬からボーイズリーグで練習生として硬式野球を始めましたが、中学に入る頃、「うちは男子野球部なので女子は受け入れられない」と言われました。野球をやる環境がなかったので、陸上やソフトに進みましたけど、「野球をやりたい」という思いはずっとありましたね。だから、渋々ソフトに行きました(笑)。
――その間も、心が折れずに「野球をやりたい」という思いを持ち続けられた理由は?
小西 硬式ボールを投げた感触がずっと忘れられなかったんですね。そして、野球のマウンドに対する憧れもありました。ソフトは平坦なので、野球のようなマウンドの高さ、高いところから投げられることへの憧れが、とても強くありました。それに、その頃多くの人から、「女子なのに18.44メートルも投げられるの?」とよく聞かれていたので、「その考えを覆したい」という思いがずっとあったことが、「いつか野球に」という思いになっていたと思います。
――北嵯峨高校時代には京都選抜選手に選ばれて、国体に出場。ソフトボールの世界でも実績を残します。それでも、龍谷短大に進学後に硬式野球の世界に入ることになったきっかけは何ですか?
小西 短大2年の秋に全日本のトライアウトを受けました。それが2004年に富山で行われた世界大会でした。そこから、自分たちで硬式のクラブチーム・大阪ブレスを立ち上げて本格的に硬式野球に取り組むようになりました。
――ブレスを立ち上げたものの、当時は対戦相手も少なかったと思います。また、当時はプロリーグができるなんて、想像もできませんでした。その中で「もういいや」と思ったことはなかったのですか?
小西 確かに、「もういいや」って思いには何度もなりかけましたね。ちょうどその頃にプロができることを聞いて、今、こうしてプロの世界で活躍できているので、本当にいいタイミングだったと思います。ブレスで野球をやっていた頃は、日本代表・ジャパンが憧れであり、夢でした。

- 小西 美加(こにし・みか)
- ウエスト フローラ
- ポジション:投手・内野手
- 生年月日:1983年4月18日
- 出身地:京都府
- 経歴:北嵯峨高校(ソフト) - 龍谷大学(ソフト) - 大阪BLESS(女子硬式) - スマイリーズ('10・'11) - ハニーズ('12)
- 身長:166cm
- タイプ:右投右打
- MVP('11・'12)
最優秀防御率('10・'12)
最多勝利('10・'11・'12)
最多奪三振('10・'11)
最多イニング投手('12)
最多本塁打('11・'12)
最多盗塁('10)
ベストナイン投手('11・'12) - 上記データは掲載時のものとなります。